2022年
コロナ、戦争、猛暑・・・

屋久島大川の浜2022.9.4 ・屋久島で余裕ができると真っ先に訪れるお気に入りの場所。大きな滝でクライマックスを迎えた水の旅が、ここで川から海へと還っていく。
・川が二つに分かれた中洲の木陰に陣取って、二日がかりで写生した。天気や時間帯によって表情はいつも違うので、飽きることはない。

屋久島原2022.9・屋久島本然庵近くのお気に入りの日の出スポットの中でも、小さな港の巨大な防潮堤の上は、平らでYogaもやりやすいのでよく行く。
・この朝、雲が適度にかかって朝日の光が無限に大空に広がっていく様がはっきりと強調された。日章旗とか朝日新聞のマークとか、これかあ。

屋久島原・大型台風が接近していたこの朝、風も強く、海も激しく荒れていた。独特な形に展開した雲に、今日も朝日が美しい。
・同じ場所でも、本当に日によって違う。時に優しく、時に凶暴な自然。荒天で船が止まると物流がとだえ、スーパーの棚はすっからかんになる。お天道様には敵いません。従うしかない。

屋久島大川の滝 ・落差88mの大川(おおこ)の滝も、行く度に表情が違って飽きない。この日は、左の激しい流れと、右の優しい流れ、そしてその真ん中のささやかな流れが鮮明だった。
・陰陽あっての全体だけど、真ん中にポツリと中道の道があるのも興味深い。

屋久島淀川2022.9.7・屋久杉ランドと紀元杉を車で超え、淀川小屋入口から宮之浦岳への縦走路を入る。1時間程歩くと本当に清らかな淀川(よどこ)に着く。
・写生道具を担いで行き、朝から夕方まで橋の上に座り込む。水の反射も難題だが、光がどんどん変わってどの瞬間を捉えたものか悩ましい。後から何度も描き直したが、完成はないなあ。

屋久島 2022.6屋久島には40年、数えられない程通った。最近は膝・腰弱りハードな山行は難しい。代わりにゆっくり丁寧に歩く。この6月も、花之江河への途中の展望台で引き返した。
黒味岳(1831m)など奥岳と空が広がる。初夏の森の生命は力強い。88年に八ヶ岳での「いのちの祭り」実行委員を務めた。ふと、このお役目は永遠だな、と思った。

屋久島 2022.6屋久島最高峰宮之浦岳に登る登山道は、淀川(よどご)という川を渡る。
滝のような激流の川が多い屋久島で、ここだけはなぜかとても静かな淵のよう。
訪れる人が皆息を呑むほど美しい場所だが、水面に映る緑は写真でもうまく表現できない。
畏れ多い景色を描く日が来た。描いてみたら、自分の内を流れる静かな水とつながったよう。

太宰府 2022.4母のふるさとへの旅で、太宰府の観世音寺を訪ねていたとき、丸い虹が出現した。
幻日輪とかハロとか色々呼び名があるらしい。古来、良き兆候とか、天気が下り坂のサインだとか言われ、稀な出現は人々を驚かせる。
飛行機雲と虹色の輪。なんとも不思議な光景。
母の忘れ難きふるさとで、忘れ難きひととき。

福岡県太宰府 2022.4太宰府天満宮の奥に宝満山という昔修験の山があり、その麓に竈門(かまど)神社がある。
92歳になる母を4月末に連れて訪れた。母の父はここの宮司だったが、40代で急逝した。
今はいとこが宮司を務める。縁結びや、鬼滅の刃で有名になり、今や超人気スポットだ。
朝の光が背になるよう本殿の東に回り込んで撮ったクスの大木。新緑の生命が滾(たぎ)る。

大岡山 2022.4.232015年9月に同志社から東工大に移り、リベラルアーツ教育の展開に携わってきた。
大岡山キャンパスは、春は桜、秋はイチョウで美しい。この斜面には幼児たちがよく遊びにきていて、走り回る姿は微笑ましい。
65歳になり、来春には定年退職。来年この桜はもう見られないんだな、と一人で見納め。
来年の春は、きっとまた旅に出てるぞ!

武蔵野 2022.4.3屋久島から飛行機で東京に夜戻った。密集したビルの風景に圧倒される。全くの別世界。
「あー、また大都会に帰って来ちゃったな」と気が重くなった。だけど夜が明けてみると、家の周囲は桜が満開ではないか!
春のいのちの力は、どこでも凄いんだな。
大変な世の中だけど、世界はやっぱり美しい。

屋久島 2022.3.27写生尾之間には、熱いお湯があふれる温泉がある。
そこへ行く道すがら、電線などに邪魔されず、モッチョム岳、耳岳、割石岳の尾之間三山がきれいに見えるところがあり、写生に挑戦。
里の明るい新緑が、日々少しずつ山の上へと昇っていく。春のいのちは本当に美しすぎて、もうどうしたらいいの?と悶えてしまうほど。
言葉にならないけど、絵と歌になりました。

屋久島 2022.3.26詩人山尾三省を屋久島に訪ねてから40年。縁が巡って、2006年に本然庵を建てた。
本来の自然に戻るための庵、本然庵。
1990年前後に留学したCIISの修論のテーマ“Toward Our True Nature”の体現でもある。
立教、ビーネイチャー、リトリート。多くの人が他者と自然と自分自身につながり直した。
自然の中で存分に遊び、「みんな地球の子どもたち」と思い出す道場。ぜひどーじょ!

屋久島 2022.3.30写生 常緑の屋久島でも春の新緑はもっこり生命にあふれ、ブロッコリー現象と呼ばれたりする。
日に日に明るい緑が里から山麓を登っていく。
霊峰モッチョム岳は、よく雲が湧いたり霞んだり、朝や夕方の光によっても表情が多彩。
この麓に縁をいただいた幸せを思う。無心で写生してたら、日差しが強くてふらふらに。

屋久島 2022.3.26 春の新緑の色は黄緑だけではない。赤や黄金色など様々な色があふれる。
安房川の上空を渡る松峰大橋のすぐ横に、照葉樹林の象徴クスノキの黄金色の新芽。ふとクローズアップで写した写真を元に。
“develop”とは元々「包まれていたものが開いていく」という自動詞。可能性は自ずから展開する。春の光の中で、自然に。

(母子杉.その3)
屋久島 2022.3.21写生母子杉はすぐ間近で2,600年の生命に触れられる貴重な屋久杉。
何度も訪れ、何度も絵に描いてきたが、この日は写生道具を担いで行って、森の中に三脚を立てて、5時間くらい深い森を味わった。
シンシンと冷えたが、静かな時が流れた。
時折登山者が通る。「見た、撮った、さよなら」ではもったいないよ、と長老の前で思う。

屋久島 2022.3.21写生 春、一人で屋久島へ。オンライン会議に2日参加する予定だったが、なんと申込み忘れ!
落胆束の間、ならば屋久島にいてしかできないことやろう、と大好きな場所の写生に出た。
写真を元に部屋で描くのでなく、自然のその場に身を置き、向き合いながら描いてみよう。
川が海に還る大好きな浜に半日。実は風が強くて寒かった。自然は美しい。そして厳しい。

武蔵野市 2022.3 スナフキンに憧れているので、時々ハーモニカを持って散歩する。
早春、井の頭公園の水源に近い所で、ちょうど真正面から日が昇ってくるのに遭遇した。
日の出の位置は日々移動するので、これは貴重なシチュエーションだと感じて数日通った。
右の建物が弁天さん。近くに朝日の当たるカフェがある。カプチーノの泡の絵がかわいい。

武蔵野 2022.2 2月、寒波が来て東京にも雪が降った。
翌朝晴れたので近くの中央公園まで散歩した。戦時中は零戦を作っていた中島飛行機の跡地。
原っぱのランドマークでもある桜の大木は、冬の間はすっかり葉を落としていて静か。
その枝のシルエットが、白い雪原に映って不思議な紋様を描いていた。まばゆい光の中で。

鷹ノ巣山から 2022.1.2 昨年末に奥多摩の鷹ノ巣山(1736m)に登った。
かつてワンゲルで各地の山に登っていた頃は、奥多摩は新人の足慣らし程度と軽くみていたが、数十年経ち、見直して改めて通っている。
冬の日の短さに追われ、夕闇迫るなか急いで迷った挙句に足を強く捻った。動けず、なんと山岳救助隊の皆さまにお世話になりました。
年明けて、書き初め代わりに思い出の一コマ。
2021年
コロナは続く

屋久島 2021.12 屋久島でも有名な千尋(せんぴろ)の滝の展望台に、朝日に向かってヨガをしに行った。
一段落して、滝を振り返ると見事な虹が。
雨の多い屋久島ではしばしば虹に遭遇できる。
しかし、この空中に浮かぶ虹の7色のグラデーションを透明感持って描くのは、本当に難しい。

屋久島原 2021.12日の出がかなり好きだ。
かつては夜型で日の出なんて元旦くらいしか見なかった。京都の賀茂川散歩で日の出の美しさに誘われ、いつのまにか朝日ハンターに。
屋久島の集落には必ず小さな港が造られ、防波堤が海に突き出す。原(はるお)のそこは特に見晴らしが素晴らしく、日の出のヨガに最高。
お日さま、おはようございます。今日も素晴らしい一日をありがとうございます。

武蔵野 2021.11.20写生1週間前に始まっていた紅葉が気になり、初めて写生道具を背負って公園に出かけた。
池の辺りで絵を描いてる人を時折見かけた。自分も公園デビューしながら、いつのまにか父と同じようなこと始めてるなあ、と思った。
「オヤジだったらこの難しい池の水紋どう描く?」と対話したり。時は流れ、時は巡る。

武蔵野 2021.11.13井の頭公園は四季を通して多勢の人で賑わう。
秋の紅葉が始まった頃、午前中に馴染みの場所から写真を撮り、午後に絵画教室でさっそく絵に描いてみた。
池の水面は難しい。カモが波紋を引き起し、景色の映り込みも揺れ続ける。
風景も全くじっとしていないんだな。

ありがとうございます。
武蔵野中央公園 2021.11.06秋の気候の良い頃、広々とした中央公園まで行って、朝日に向かってヨガの太陽礼拝。
「お日さま、おはようございます。今日も素晴らしい1日をありがとうございます」と朝から先に感謝する。
この公園、戦時中は零戦を作っていた中島飛行機の工場跡。何度もB-29に爆撃され市民も亡くなった。今は子どもや犬が走り回る。平和たれ。

屋久島 2021.10.24落差88mの大川の滝は、いつも表情が違う。
大雨の後は水量が増えて、とりわけ豪華になる。
左の豪快な「陽」と右の静かな「陰」、その間に第3の流れも姿を現わした。
激しい水音と水しぶき。すがすがしい。浄化されるとはこのことか。

武蔵野市 2021.10ステイホームのおかげで、身近な自然を改めて見直す機会を得た。
賑やかなセミの鳴き声が聞こえ出した頃、どこからどう出現しているのか探ってみた。
8月初めの日暮れ後、地中からの幼虫が特にカツラの木に登り、枝先で羽化を始めていた。
幼虫の背が割れ、初々しい黄緑の成虫がのけぞるように出てくる。その神秘に息を呑む。

武蔵野市 2021.09.02冬には落ちていたコナラの葉が、春に新緑であふれ出し、夏には濃い木陰を作る。
ところが真夏なのに枯葉が落ちてきた。調べるとカシナガキクイムシによる「ナラ枯れ」で、各地に被害が広がっているという。
温暖化の影響もあるという。もう楽園はどこにもないのか。切られる前にナラの大木を描いた。

武蔵野 2021.72021年もずっとオンラインで授業だった。
夏になり、東の窓の外のコナラの森も濃く茂っている。朝日を感じながら毎朝ヨガを続けた。
向井田みお先生の「まいあさ瞑想」に何年も通ったので、古典ヨガの流れは身につき貴重な習慣となって、身心を支えてくれている。

95年の写真から 2021.5マインドフルネスを世界に広めたヴェトナム出身の仏教者ティク・ナット・ハンは、1995年に来日した。当時60代後半、今年95歳で永眠した。
来日企画を担った実行員会の事務局長として準備や運営に奔走した。四半世紀が過ぎ、当時の仲間と来日企画を振り返る連続イベントを実施。
師に思いを馳せながら、当時の写真を元に描いた。

映画ブータン「山の学校」パンフから
2021.5 ヒマラヤ山中の小国ブータンを舞台にした映画を見た。ミュージシャン志望の若者が、僻地の学校で子どもたちと交流を深めていく。
その情景は、1979年にワンゲルの仲間と、ネパールのヒマラヤトレッキングで歩いたランタン渓谷を思い出させてくれた。
そうだ、あそこで高山病で倒れたおかげだ。Be Here Nowがわかるようになったのは。

屋久島2021.05屋久島でも西部林道は人の集落がなく、照葉樹林とヤクシカとヤクザルの世界が17キロ続く。
海岸線から奥山まで、亜熱帯から亜寒帯と言われる植物の遷移が連続して残る。
かつては人が入り、炭焼きの跡なども。
名ガイド、アペルイの田中俊蔵さんに連れて行ってもらい、海岸の大岩から振り返って見上げた。

屋久島 2020.3この春、デジタル一眼レフカメラを買って、屋久島の森をゆっくり歩き撮影した。
何度も撮っている樹齢2,600年の母子杉も、新しい広角レンズで新鮮なイメージで撮れた。
その夜、本然庵で画像を感心して眺めながら、ふと絵を描こうと思い立った。
写真もいいけど、絵はもっといいな。対象に没頭する時間が長いから、愛が深まる。

屋久島本然庵2021.3屋久島の本然庵にはタブの大木が繁る森にウッドデッキを作った。
縁あって土地を得てた当初は、ここでテントを張って過ごした。子どもが小さかった頃、親子12人で雨の中キャンプしたのも懐かしい。
森の中で輪になって座り、語り合う。早朝は朝日が差し込み、ヨガの絶好の道場。
2020年
コロナ時代へ突入

武蔵野 2020.12自室から公園を覗くとコナラの木々が中心だが、秋の一時期はもみじの紅い世界がきわだつ。
「紅葉」と書いて「もみじ」と読むほど、紅葉の典型なのだろう。春の新緑の黄緑も美しい。
玄関先に降ってきて自然に根付いたもみじも随分大きくなり、畑を日陰にしてしまうほど。

武蔵野 2020.11お隣の公園の秋景色。
春は桜や新緑で、夏は木陰や蝉の羽化で、そして秋は紅葉で、四季折々楽しませてくれる。
20数年前に作られた時は、いかにも人工的なビオトープだったが、いつのまにか幼木は森になって鳥が憩い、池には生き物が住まい、老人と犬が歩き、子どもが遊ぶ。森は育つ。

屋久島 2020.11大好きな大川(おおこ)の浜の夕景。
大川の滝でしぶきを上げて散った水が、また穏やかな川の流れになってくだってくる。
そして、暖かくて塩辛い波とさっと溶け合い、大きな海へと還る。そこはもう太平洋。
水の旅の終わりが大海に還るように、人の旅の終わりも、きっと大きな何かに還るんだな。

屋久島 2020.10一人で森をゆっくりと歩くのは、かけがえのない豊かな時間。ちゃんとした雨具があれば、雨や霧の世界も楽しい。
雨で霧深い白谷雲水峡でふとヤクシカに遭遇。
静かにしばらく見つめ合う。
一瞬で逃げ去ることも多いが、この日は森の仲間と認められたようだ。静かに霧が流れる。

屋久島2020.9•お馴染みの本然庵からのモッチョム岳の景色の夏バージョン。
•季節によって、天候によって、瞬間瞬間違います。だから、飽きることはありません。

屋久 2020.9コロナ禍で様々なイベントが中止になった。屋久島での授業やリトリートも中止で、一人でそっと本然庵に行って過ごした。
敷地すぐ隣を二又川という清流が流れている。誰も来ないプライベートリバー。
昔氾濫したこともあり砂防の堰堤ができてるが、そこがプールになり、素っ裸で泳いだり。
もうどこに行く必要もない。水が流れている。ただ水が流れている。山尾三省の詩を想う。

武蔵野市自宅 2020.8コロナで外出を控えた春から夏にかけて、我が家では朝食も昼食も小さなテラスでとった。
隣の公園の借景のおかげで、リゾートホテルのよう。朝は紅茶専門店G-clefのダージリンをたっぷり。昼は麺類、と決めて楽しんだ。
子どもたちも巣立って夫婦二人の日々。毎日ずっと一緒であーだこーだ言い合いながらも、仲良くやれてるのは、この環境のおかげかな。

武蔵野市の自室から 2020.42020年の春、コロナが世界を襲い、新学期は5月連休明けからに延期され、慣れないオンラインで授業を始めた。
どこにも行けない代わりに、近所をよく歩いた。隣接する公園の新緑が日に日に目覚める様子も味わえた。
人の世界は大変だけど、自然界の春は生命満開だと「キミドリの波」という歌も生まれた。

武蔵野市 2020.42020年の春、コロナが世界を襲った。
新学期は5月連休明けに延期され、慣れないオンラインで必死で授業を始めた。
4月は近所をよく歩いた。武蔵野市に住んで30年だが、緑が多く美しいことに改めて感謝。
隣接する公園の木々も、日に日に新緑が目覚める。2階の窓からの緑。

武蔵野市の自宅2020.4我が家は隣が公園。
春は桜が見事。
自室からも大きな桜が満開で、
わざわざ花見に行く必要もない。
ピークを過ぎるとハラハラと桜の花びらが散って、畑に舞い散る。

出雲路橋近く 2020.2.152012年春、30年務めた博報堂から同志社大学の教員になり、夢の京都暮らしが始まった。
ヨガ、音楽、料理、早朝散歩に目覚めた。
夏には羽黒修験道の山伏修行を経験した。早朝に賀茂川を歩き、日の出に向かってヨガの太陽礼拝と勤行をする一人修験道が始まった。
東山からの日の出は、冬の大文字山から夏の比叡山と変化するが、建物に遮られることは全くない。景観条例のおかげで毎朝がご来光。

北米先住民の世界観から 2020.2.11991年に留学していたカリフォルニアで、日本の仲間たちとネイティブ・アメリカンの浄化の儀式スウェットロッジを体験した。
輪になって座り、メディスンウーマンが「私たちの世界観をお話しします」と語り始めた。
“We are all children of the earth.”
聞いた瞬間、ゾクゾクっと電撃が走った。
生きとし生けるもの「みんな地球の子どもたち」と思えたら、戦争や環境の問題は変わる。

山梨八ヶ岳 2020.1八ヶ岳山麓、清里高原の清泉寮には、環境教育清里ミーティングやティク・ナット・ハンのリトリートなどで、よく通ってきた。
チェンジエージェントの小田さんが、サステナビリティ関連の仲間たちと、「清里合宿」を毎年1月に重ねていて、何度も参加した。
有志を誘って日の出前から早朝散歩。雪と氷の世界だった富士見台だが、最近は雪もない。気候変動を痛感するが、朝日は今日も美しい。
2019年
62歳になる年、春の屋久島でアクリル絵の具で描き始めました。ほとんど屋久島の風景

ドイツ 2019.12東工大リーダーシップ教育院の創設に関わり、同僚の嘉村賢州氏らとベルリン視察に行った。
ネットで探した粋なB&Bに3人で泊まった。そこから、ICTを活用した教育のカンファレンス会場に通う道の街角に素敵なビルが。
歩いているとバウハウスのミュージアムに出くわしたり興味深い。前に行った1987年はまだベルリンの壁があった。世界は変わる。

屋久島釈迦杉の泉 2019.11雨の多い屋久島の森ではあちこちで水が湧き出す。屋久杉ランドの一番長いコースで天文の森を越えると釈迦杉と呼ばれる屋久杉が。
その根元、苔むした周辺の森から静かに水が染み出し、泉となり小さな水の流れが始まる。
島の大きな山々の中で雲霧となり、雨となって降った水の旅が、ここから海まで続く。

東工大研究室より 2019.12.9「岡」と名がつく大岡山は、本当に高台で西側が開けている。冬は空気が澄んで、綺麗な夕景に富士山のシルエットが浮かび上がる。
8階の研究室からちょっと乗り出すと、静かで美しい夕暮れの紅色が刻々と変化していく。写真では撮れない朱色のグラデーションの妙。
帰りにアート吉祥寺に寄り2時間程で一気に描いた。今日も素晴らしい1日をありがとう。

ブランパバン郊外2019年9月9日つれあいは大のゾウ好き。夏の海外旅行プランを任せたら、「ラオスで象使いになる」という企画を見つけてきた。
古都ブランパバン郊外にあるエレファントキャンプ。ゾウに指示する言葉を覚え、鞍もつけないゾウに乗って森を歩き、一緒に川に水浴びに入って振り落とされたり。
あんなに大きいのに怖くない。大きな野生動物で親しみを感じるのはイルカや鯨に近いな。

屋久島 2019.8砂浜の少ない屋久島の中で、永田いなか浜は白い砂浜が広がり夕焼けが美しい。ウミガメの日本最大の産卵地として名高い。
ある夏、京都時代の仲間たち中心に10数人の大家族で本然庵でのリトリートを楽しんだ。
夕焼けをねらって訪れた浜は、本当に穏やかで美しく、染まりゆく天空と暖かな海に包まれた。おんぶされていた子も大きくなったな。

屋久島 2019.8屋久杉ランドで会うことのできる母子杉は、推定樹齢2,600年の見事な屋久杉。
東工大の科学史の元同僚は「ソクラテスの時代だ!」と感動し、見上げてしばらく動けなかったと言う。仏陀の時代とも言えるな。
見上げる角度や天気や時刻によっても表情が変わるので、飽きることはない。
何度も訪ね、何度も描くことになった。

屋久島 2019.7尾之間の岬の東側に切り立った岩場は、年中、海からの日の出がよく見える。水平線に少し雲がかかることが多いが、表情は毎日違う。
1997年にトランスパーソナル学会で星川淳さんと出会った10数人で、屋久島に住む彼を訪ねた。その時から何度眺めたかなあ。
様々な表情で輝く黒潮。寄せては砕ける波。険しい岩場。モッチョム岳の凛々しい姿に、朝日が当たり始める瞬間は、本当に美しい。

屋久島 2019.7屋久杉ランドで会える「仏陀杉」という屋久杉は表情がとても豊か。推定樹齢は1,800年。
他の植物が大木の上に根付き成長する「着生」もたくさん見られる。
「屋久杉」とは千年以上の樹齢の杉のこと。立派なものがたくさんあるのに、「縄文杉」だけがなぜか有名になって人が集中している。

屋久島 2019.6大川(おおこ)の滝は、落差88mもあり実に見事。真正面には清冽なしぶきが激しく飛んでくる。
これぞ浄化!と感じられるパワースポットで、羽黒修験道の山伏修行で覚えた勤行(祝詞や般若心経を唱え祈る)をしてみた。
ジョアン・ハリファックス老師と一緒に屋久島に来たメアリーが、その様子を撮ってくれた。この前後に生まれた歌の素敵な英訳も彼女だ。

屋久島 2019.6 屋久島の西部、大川の滝が静かな川に戻り、そっと海に還る大好きな浜。
屋久島は「水の循環」が目の前で見られる。
湿った空気が山にぶつかり上昇して雲になり、雨となって降る。川となり、森を里を潤し、そして海に還る。
水の旅の終わりは大きな海に還る。海の波が「おかえり〜」と迎えに来る。川の水が「ただいま〜」と溶け入っていく。

2019.5屋久島の勝手なイメージ。
黒潮に浮かぶ花崗岩が隆起した山岳島。最高峰の宮之浦岳は1936mもある。
湿った空気が山にぶつかって上昇して冷やされ雲になる。そして大量の雨をもたらす。その雨が深い森を育てる。
あちこちで川となり、滝となって下り、海へ戻る。人が暮らすのは周辺部の海沿いだけ。

屋久島 2019.5屋久島モッチョム岳(944m)南麓に土地を得て、2006年に本然庵を建てた。人と人・自然・自分自身がつながり直し、本来の自分を取り戻す庵。
春は様々な明るい色の新緑が、里から山へと、常緑の深い森を毎日少しずつ登っていく。
山麓の深い奥行き感を出すのはなかなか難しい。そこで、手前は明るく大きく、奥に行くにつれて濃く小さく強調し、少しデフォルメしてみた。
アクリル絵具の鮮やかさを試してみた第2作。

屋久島 2019.4屋久島の尾之間に屹立する霊峰「モッチョム岳」(944m)の南麓に土地を得て、何年間かキャンプしながら構想を練り、2006年に本然庵を建てた。
本然庵は本来の自然に戻るための庵、人と人・自然・自分自身がつながり直す道場、リトリートセンター。米国CIIS留学時の修論のタイトル”Toward Our True Nature”の意も含む。
2019年春にアート吉祥寺に通い始め、デッサンを練習し、初めてアクリル絵の具で描いたのがこれ。ずっと眺めてきた屋久島の大好きな風景から始めた。